『神戸新聞の7日間』というドラマをみた。
阪神大震災のときの、地元の神戸新聞の記者の話だ。
主演は今をときめく嵐の櫻井くん。
うちも神戸新聞をとっていて、翌日の昼くらいに朝刊が届いて
「わっ、神戸新聞きた!」
感動したのを覚えている。
一面に載った社説も読んだっけ。
その神戸新聞の読者投稿欄に、つい先日、被災したひとからこんな言葉が寄せられていた。
「毎年この季節になるとメディアが震災の話題ばかりで辛い。
私も当時は誰かにしゃべりたかったけれど、今はとにかく早く忘れたいと思うようになった。
1月17日が通り過ぎるのを目と耳をふさいでじっと耐えています。」
『時が解決してくれる』とよく言われるけれど。
どんなに時が流れても、癒えない悲しみがあるのだ。
どんなに復興したように見えても、戻らないものはたくさんあるのだ。
私はあのとき神戸の学生だったが、何もできなかった。
ボランティアにも来るなと言われた。
危ないし、お前らじゃ役に立たないからと。
自分の力で被災地へ行く勇気もなかった。
そういえば、あのころ父が、宝塚の職場から鶴の置物を持ってかえってきたっけ。
ひっくりかえってグチャグチャにつぶれたゴミの山の中に置かれていた鶴。
「なんか可哀想でなあ。
首が折れとるねんけど、治してやってくれ」
ビニールテープの包帯で首をぐるぐる巻かれた鶴は、今でもうちの庭に立っている。

私が助けてあげられたのは、この鶴だけだなあ。