「それって女としてどうよ」
なんて言われたりするんだが。
それに似た現象を、まったく違うところで見つけた。
言いにくいけど。
言っちゃうよ。
障害者の家族として、一回だけ、言っちゃうよ。
だから怒らないできいてください。
「障害をもつ人たち、もっとお洒落しようよ!
介助する人たち、もっと気をつかおうよ!」
もちろん、無理なことは分ってる。
強いこだわりのある人や、着脱の難しい人、体温調節の困難な人。
身体的にムリな人や逃げまわっちゃう人、破っちゃう人、洪水な人。
金銭的に難しい人もいるかもしれない。
どうしようもない場合も多いと思う。
でも。
それでも。
いくらなんでもTPO無さすぎ。
その服、ぼろぼろすぎ。
えええ! オーバーオールですか?
・・・周りの人は一瞬、そう思うわけだ。
だって、その人のこだわりや身体的特徴など、説明してもらわねば分らないのだから。
「人間、外見じゃないよ」
なーんて所詮キレイごと。
初対面の人は外見で判断するしかないのだから、
できたら、なるべく、ちょっとでも、お洒落するように心がけてみたら、ほんの少し努力してみたら、
「心のバリアフリー」
っちゅうやつに貢献できるのではないだろうか。
歩みよってもらうばかりではなく、こちらからも近づく努力をするべきだ。
軽い知的障害の少女が、おばあちゃんのモンペみたいなのを着ているのを見てちょっと考えてしまった。
介護する方も同じこと。
先日、成人式に車椅子の男性が出席したというニュースを見ていた。
成人式だからまわりはもちろん盛装だし、車椅子の人もビシッと決めている。
なのに!
介助の人が!
ヘルパーさんが!
すんごい制服!
いかにもヘルパー!
成人式会場で浮きまくり!
制服って困るね。融通きかないのかなあ。
最後にもう一つ。
子離れできてなくてやばい親ごさんを時々見かけます。
いい年した息子に頬ずりしたりとか。
必用もないのに、しかも人前で!
「この子は障害者だから」
って過保護にするのは、
「この子は可哀想だから」
って思ってるのと同じこと。差別だと思う。
知的障害があっても身体的障害があっても、大人は大人だ。
親がつきっきりで子供あつかいしていたら、大人になんてなれるわけがない。
成長できるわけがない。
体が赤ちゃんみたいだから、そうなる気持ちも分るんだけど。
赤ちゃん言葉で話しかけるのやめてー!
ああ。
言っちゃいました。
「おかーさんもトシだから、若い子の服わかんない!」
・・・実は私も、よくわかんない!